丸谷随筆集

2015/7/17
「住まいの原点」
自分の住まいをつくる。
これほど簡単で難しいことはないかも知れない。
地球上のあらゆる生物が何らかの形で、自分の住まいである巣をごく自然に創っている。
にもかかわらず、人間にとっては様々な人の手を借りずには自分の巣がつくれなくなってしまった。
はたしてその「自分でつくれなくなってしまった巣」とは如何なるものであるのか。
雨露を凌ぐためだけであれば、竪穴住居でも良かったはずである。
そこまで時代を遡らなくても江戸時代、田園地帯では、共同作業で住居をつくっていた。
明治以後もしばらくは住居というものはそういう存在であった。

明治時代となり文明開花を迎えて、世の中は大きく変わっていく。
都心部で始まった文明化の波は次第に農村部へと広がり、庶民の住居にも、電気がともり、水道が引かれるようになる。
そうなると、専門的な知識と技術と道具を持った職人が必要となる。さらに、金属や樹脂の建築材料が開発され市場に出回るようになると、ますます素人の手からは遠い存在となってしまう。
戦後の高度経済成長期には、もっと大きな変革が住宅に起きる。
それは住宅の歴史では初めての事であり、住宅が商品化されていくということであった。
住宅の生産を目的とする、大資本の住宅メーカーの誕生である。
住宅は、多くの部品が工場でつくられることとなり、現場での手加工は極力少なくなる。
必要な工期も大きく短縮されていく。
その結果、住宅の工業的な意味での品質が向上されると共に、一方では、同じ製品を沢山販売し経済効率をさらにあげようとする企業努力がなされる。
それがあらゆるメディアを使ったコマーシャルであり、住宅のファッション化である。
そうした状況では、ついに住まい手は消費者であり、与えられる側という立場に甘んじるしかなくなる。
そのことは、住まい手の主体性が失われたことと同じことと言えるのである。
住まいは、着物のファッションとは異なる。人間の生き方にもっと近い存在であり、けして人に委ねることのできない体の一部分と解せるものである。

今の時代、住まいをつくろうと思った時には様々な道がある。
しかし、大切にすべきことは、自分自身であり、自分の巣作りであり、自分の体の一部としての住まいの存在である。
これはけして人に委ねられるべきことではない。
ましてや、既製服と同じ気持ちで手に入れるべきものでもない。
住まいはあなたの大切な人生そのものであり、あなた自身の表現の場とも言えるものなのです。
そしてここにあげた、住まいづくりの事例は、そうした自分の住まい、あるいは自分自身の感性に合う、巣作りのひとつひとつの大切な心のこもった物語なのです。
建築家の存在は、そうした夢づくりのお手伝い役であり、見えないところでの快適な住まいづくりのための技術提供者であると思って下さい。
もしかしたら、人生の良き友人となるかも知れませんね。