釜谷銅器製作所・釜谷雅之
「銅の風炉、昨日から明日へ」
2004年3月26日(金)〜3月28日(日)

【素材と造形を考える会3月27日(土)17時〜】

「写真は、釜谷さんの工場ではなく参考までに掲載しているものです。」
渡来人が製鉄法を伝えて後、タタラを産地から消費地へと運んだ北前船の交易の道、日本海側に鉄の加工産地が次々と生まれていった。越前、高岡、燕などである。高岡銅器は約400年前、2代目加賀藩主、前田利長公が高岡築城の際、産業振興の一貫と
して、現在の高岡金屋町に鋳物工場を開設した事に始まる。
鉄鋳物による鍋・釜等の日用品、あるいは鋤・鍬などの農器具が主体であった。その後江戸も中期になると生活文化が向上し、嗜好品へと替わり唐金鋳物(銅合金鋳物)の需要が多くなっていく。とくに、仏具の需要は多く普及していく。明治・大正時代
になると火鉢・茶道具・置物の生産が盛んになり、美術工芸品としての産業基盤が形成されていった。
こうした産地も、需要の減少とともに特化した分野での生き残りを求めざる終えなくなっている。しかし、あらためて金属工芸を見直す中で、生活工芸としての可能性を探る絶好の機会としたい。                    

・・・有為転変

参考ホームページ http://www.e-tmm.info/jyousetu.htm


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