MESSAGE

伝えたいこと

和の魅力を生かした住まい

1. 伝統が語る和の原点

・平安時代   白木の仏像、漢字からひらかな

・寝殿造り   雁行プラン

・書院と数寄屋 江戸時代、茶室を数寄屋と呼んでいた。

・書院と床の間 書院の床は板床、数寄屋は畳床
        書院の壁は漆喰、数寄屋の壁は土壁
        書院の柱は正角材、数寄屋は面皮材
        書院のデザインは格式・形式、数寄屋のデザインは自由・遊び・崩し
        書院はヒノキ、数寄屋はスギ

・桂離宮    古書院/長押のない数寄屋、古風な欄間、京唐紙
        中書院/数寄屋、襖絵
        新書院/面皮長押の書院造り


2.風土から生まれた仕掛け

・大きな屋根  茅、瓦、板、銅板、トタン板
・門・塀
・玄関
・縁側・濡れ縁・広縁
・深い軒
・土間
・引き違い戸の開口部・雨戸
・曲(カネ)折りの開口部
・障子
・襖
・格子・格子戸
・欄間
・プライバシーと衝立・屏風・その他の建具
・地窓
・続き間

3.侘び茶の世界から生まれた遊び

・ハレとヶの同居/風流閑雅「方丈記」「徒然草」
・喫茶の場と点茶の場を同室化する
・坪の内/客の目不移良、御茶に精を入、名物に心をつけしめんため也
・脇坪の内、内坪、路次、露地
・次の間/踏み込み             
・下地窓、墨蹟窓、躙り口
・小宇宙に身を置き、大宇宙へと心は巡る/内部にありながらも限りない外部へと心は通じる/極小空間でありながら極大へとつながる

4.社会の格付けから生まれた概念

・塗り物⇔生地
・蒔絵ほかの加飾⇔無地
・書院⇔数寄屋

5.素材が語る和の空間

・土壁
・和紙張り
・草(藺草、葛、アケビ、籐)
・竹(真竹、孟宗竹)

6.生活から生まれた仕掛け

・押入
・納戸
・水屋
・付書院
・違い棚
・天袋・地袋

7.和の概念

・真・行・草
・ハレ・ヶ
・好み    遠州好み、織部好み、利休好み、表千家好み、裏千家好み
・気配
・結界
・間
・わび・さび

8.マンションのしつらい

・一目瞭然
・心のないしつらい
・腰窓ばかり、単純な視線
・花鳥風月の欠如
・遊びの欠落
・外部空間との乖離

マンションと戸建て住宅

梅雨空にもかかわらず、庭木の緑が新鮮に輝き、水たまりに雨粒が光り、空から降ってきたたくさんの波
紋がぶつかり合いながら透明の会話を遊んでいる。
濡れた土は、水で洗われ天気のときとは違った水晶のような輝きを放っている。
 そんな無彩色の空気の中で、可憐に、そしてにぎやかに肩を寄せ合い微笑んでいるアジサイたち。
柔らかな葉と真っ白い花で静かにたたずんでいる夏椿。
葉肉が厚く緑も濃いが、少し滑稽で忘れられないヤツデ。
 ふと気がつくと、濡れ色の葉の上に同じ緑色のアオガエルがいる。とてもきれいな色と肌。
つい手に持って遊んでしまう。
湿り気のある日本の梅雨の懐かしい小学校時代の風景が目に浮かんだ。
 さて、つい最近できあがった六階建て一六戸の集合住宅(Sマンション)を話題にしながら、日本の住ま
いについて話をしてみたい。
 日頃、戸建て住宅を手がけている私が、一年ほど前に「マンション」の設計に取り組むことになった。
そこで私はこう宣言した。
「いわゆるマンションは設計しない。
住宅であればマンションである必要はない。
戸建てが集合したものをつくりたい」と。
 私から見たら現代のマンションは欠陥だらけ、これまで、日本人が築きあげてきた住空間の豊かさの、ほ
んの一握りの言葉しか持っていない。
あまりにも貧しい、住まいとは言えない「住まい」である。


ハレとケ

 住まいは日常の世界。着飾る世界ではない。したがって、マンションもケの世界であると思ってよい。
 あるディベロッパーの部長は、「君、このマンションのエントランスは、○○ホテルのエントランスのように表現しろよ」と言った。
 これは大違いである。
マンションは住宅であり、ケの場である。
それをハレの材料でハレの表現をしてはいけない。
ケの材料を用い、ケの表現をなすべきなのである。
 日本の空間では、ハレの世界を「書院」で、ケの世界を「数寄屋」で表現するという伝統がある。
お寺や城郭、皇居は書院であり、お茶室や民家、そして町屋は数寄屋である。
数寄屋であっても、その中の客室は書院で表現されている。
つまり書院はハレの場の表現であり、数寄屋はケの場の表現なのである。
 マンションのエントランスにはケの材料を使い、ケの表現をすべきである。
石張りの壁よりは土壁を、石張りの床よりはタイルや洗い出しの床を選ぶべきなのである。
たとえ石張りであっても、御影石よりは大理石、大理石よりは砂岩や水成岩を選ぶべきである。
照明も住宅で使う器具で十分だ。
 もしホテル的な表現でしか粋な表現ができないとすれば、それは貧しさ以外の何ものでもない。
吉田五十八や村野藤吾、吉村順三による数寄屋の表現を思い返してほしい。
これらが近現代の日本空間の宝であるはずである。

壁に耳あり障子に目あり

 私がまだ二〇代の頃、本誌『建築とまちづくり』の取材で、ある噺家のご自宅へ伺ったときであった。
インタビューがひと通り終わったところで、その噺家が大声で壁に向かって話した。
「おーい、いい男が居るからちょっとお茶でも飲みに来な」。
そしたら壁の向こうからすぐに返事があり、いきなり独身の女性とお会いする羽目になってしまったのである。
 下町ならではの出来事であった。
「壁に耳あり障子に目あり」ではあっても、こんな使い分けができるとは、と恐れ入った。
 現代の風潮とは大違いであるが、せめて住宅の中ではこうありたいものだ。
遮音壁で仕切られた個室に閉じこもるような家庭では、他人どうしと変わらなくなってしまう。
夫婦の交わりだって子供たちに薄々感じ取られる関係もけっして否定する必要はないと思う。
「お父さん揺らさないでよ」とか。

気配

 住まいにおける気配の表現は、主に「人の気配」の表現となる。
玄関を入って壁と扉だけが目に映る世界は、大変重苦しい。
扉や壁から灯りや音楽が漏れていると、どこか安心する。
どこがトイレでどこが個室か、扉を開けてみなければわからないような家では、訪問する人間の心構えができない。
びっくりハウスに足を踏み入れるようなものである。
 したがって、扉や欄間のデザインを工夫し、壁の中から部屋の灯りや音がこぼれ出るように自然と表現されるべきなのだと思う。
 気配の表現にもさまざまな方法がある。
Sマンションの共用部では、共用廊下から各戸の玄関へと近づくにつれ、床仕上げが変化していく。
床タイルと腰タイル、そしてプラント置き場などの表現によって、パブリックからセミプライベートスペースまでをつくり、その先に玄関ドアが存在するようにしている。
各住戸の照明も、そうしたしつらいをさらに印象づけるように配置している。

結界

 気配と似た、もの言わぬ「伝え」と言えるものが、結界である。
 神社やお寺のように、参拝者と神仏とを建築的(物理的)に分離している場合には結界がはっきりしているが、住宅や日常生活の中ではもう少し柔らかい表現となる。
 たとえば、通行止めのサイン。
石に麻ひもを十字に結わき、飛び石の上に置いておく。
あるいは竹一本を腰の高さで横たわらせる形。
遠慮しながらも通行止めを伝えるという気遣いの表現がさまざまにある。
 結界は単なる通行止めや禁止のサインだけではなく、間をあけるという表現でもある。
住宅ではこの意味で使うことがほとんどだ。
 居間と寝室との間に間を取り、それぞれに煩いのないようにする心遣い。
あるいは家族の居場所と客間との距離を必要とする場合、あるいは「ご不浄」(便所)と居間との距離、あるいは玄関と居間との距離である。
外回りで言えば、門と玄関との距離、窓と道路との距離において、結界の心は必要となる。
 毎朝新聞広告に入ってくるマンションの間取りを見ると、まったくこうした間の取り方がなされておらず、一体何を設計しているのかと思う。
日本人の心がないのかと呆れてしまう。と言うより腹が立ってくる。
ほとんどのプランは、玄関に立つと奥に居間が見え、その手前の廊下には個室の扉、さらに奥には水回りの扉がある。
どれも、ただ廊下の壁に直面して設置されているだけだ。
 「ドア一枚のプライバシー」は、住宅のしつらえとしてはどうしても程度が低い。
安旅館では、廊下に面した扉を開けたらいきなり部屋の様子が丸見えといういことがよくある。
プライバシー度が低いのである。
いい旅館であれば、必ず踏み込みがあり、前室がある。
そうしたしつらえであれば、廊下を歩く人と部屋にいる人とがお互いの存在を煩わすことなく、ほどよい気持ちを保っていられる。
Sマンションでは、廊下から踏み込みがあって初めて個室の扉がある。
どうしても踏み込みが取れないときには、小壁か柱を置いた。
 居間回りでも同じようなことがある。
ほとんどのマンションの居間は南面し、さらにその脇には個室か和室がある。
そのときにもただ扉が直面しているようでは情けない。
何かの結界をもうけるべきである。
Sマンションは入り口付近の天井を低天井とし、さらに独立柱をもうけている。
 結界は、暖簾であったり、材料や色の違い、段差まど、住宅の中ではさまざまな言葉に置き換えられる。
こうした言葉遣いがヒューマンデザインであると言えるのではないか。




 大学の住居学や設計の授業で、「『間取り』じゃないよ建築は。トータルな計画なんだよ。
間取りだけじゃなく設備も外構計画もすべて計画しなければいけないんだからね」、そんな言葉に、なるほどなあと感心したことを思い出す。
ところが今改めて感心し実感するのは、「間取り」という言葉の深さなのである。
 日本人にとって「間」の表現は、「心と空間の根本である」とまで言える。
もしかしたらデザインそのもののことなのかもしれない。
奥深い不思議な言葉である。
概念といってもいい。
「間が悪い」「間が持てない」「間違い」「間合い」「間仕切り」「間尺が悪い」。
三〇年設計してきて、ほどよい「間」をプロポーションよく配置できるようになって、ようやく一人前なのかなとも実感する。
間は、空間であったり、空間と空間のつなぎの空間であったり、ときには意識の中の距離であったり、結界とも共有した意味を持つこともある。
こんな意識があるので、最近では「間取り」という言葉を積極的に使っている。


閉じることなく開くこと

 それでも「間取り」は、空間を仕切り、限定する気持ちが強くなる言葉である。
 これに対し日本の住空間は、限りなく不限定である。つまり、閉じられていないのである。
壁が少なく、建具で仕切られ、内外の空間の境が曖昧で、さらにその曖昧な空間にも人間の居場所が設定されていて、居心地の良い場所として使われてきた。
それが、濡れ縁であり、下屋、土間なのである。
 マンションの多くは土から離れ、地上高く住居の場所を定めている。
内と外との行き交いは、内と無限定な空中との行き交いとなる。
そこには遠くの景色しかなく、身近な季節はない。
手に取れる自然はない。
雨が降っても濡れた地面を座って眺めることもない。
すでに自然の中の当事者ではなく、遠くを眺める傍観者でしかないのである。
 さらに問題なのは、バルコニーに面した南の開口部だけが掃き出し窓で、その他の窓のほとんどは腰付窓となっていることだ。
通風から言ってもけっしてほめられたものではない。
またそれだけではなく、床に座ったときには、空をただ見上げるだけの窓となってしまう。
まるで監獄にでもいるかのようだ。
 輸入住宅のほとんどは、石造建築の様式化された姿を真似ているため、戸建てであっても縦長の窓であり、さらには腰付窓である。
それをそのまま持ち込んで日本で住む住宅にするには、まったく不向きだと言える。
 明治大正時代につくられた様式建築も、こうした目で見るとけっして良い住居とは言えない。
「見栄」と「奢り」、あるいは「憧憬」で歴史的につくられた建築なのである。


シンメトリー(対称)とアシンメトリー(非対称)

 日本の精神はアシンメトリーと言ってよい。というよりは、感性がアシンメトリーの世界にあると言える。
 シンメトリーは、緊張と対立、言葉を換えればハレという表舞台である。
アシンメトリーは、優しく自然で力を抜いたケの世界、動的なバランスの姿である。
 雁行した間取りや建物の配置は、アシンメトリーの世界。
自然の地形に対立することなく、それこそ自然に配置した結果であると言える。
日本間の床の間の配置はすでにアシンメトリーの世界である。
ただし、けっしてアンバランスではない。
力の釣り合いが取れていてこそ安定した美しさを持っている。
 ここで大切なことがある。
シンメトリーの場合は元々が対称形のため、ものの重さや密度には無関係にバランスは安定している。
ところがアシンメトリーの場合には、そのものの大きさや重さ、密度が同時に安定していないとバランスは保てない。
アシンメトリーの世界は感性豊かでない限り絶妙なバランスを創り出すことはできない。
ここに日本人特有のバランス感覚が息づいている。
 たとえば四角い部屋の照明を考えてみる。
正面から見て左右対称に照明を配置すれば、明暗の広がりや分布も対象である。
これに対して、照明の配置を非対称にすると、たちどころに状況が変化する。
明るさと暗さの分布が対称を崩し、部分は全体のために、全体は部分のためにあるという明暗の動的な関係となる。
全体が物語り始めるのである。
アシンメトリーの世界がいかに豊かであるかの例であろう。
 アシンメトリーはまさに自然の世界そのままである。
地球には太陽、月という昼夜の灯りがそれぞれ一灯しかなく、シンメトリーになるのは正午の一瞬、そのほかはアシンメトリーの世界なのである。


緊張と和み

 緊張と和みは、このシンメトリーとアシンメトリーの話に似ている。
 太陽と月の明かりがほんの一瞬のシンメトリーしか持たず、後は圧倒的にアシンメトリーの世界となるということわりは、一瞬の緊張とそのほかの圧倒的な弛緩・和みの時間へと連続する情景として、日本人の生活や振る舞いに表現されている。
 家を建てるときの地鎮祭は、一瞬のハレの場、緊張の場、その後の建設風景はケの場、日常・和みの場である。
門をくぐるときは一瞬の緊張、ハレの場、その後は温かに表現されているアプローチと住居、そして家族が迎えてくれるケの場である。
 日本人は、同じひとつの場を、心構えだけでハレとケに使い分けられるという特殊な能力を持っている。
お茶会は、ケのしつらえにもかかわらず、ハレの舞台となることもある。
住宅で結納を結び、結婚式をすることもできる。
あるいは葬式までしてしまう。
こうした使い分けの心得は、素晴らしいセンスだと言いたい。
 Sマンションの門の表現では、車の出入りと合わせ、アシンメトリーのデザインにしている。
その表現が、門としての威嚇もなく、しかも適当に間を感じさせるデザインなのではないかと考えている。


わびさび/真行草

 真行草の「草」の心に、わびやさびがある。
 陶磁器の世界で考えると、「真」に近い磁器物は、その手触りや歯触りは清潔であり、面が鋭利ではっきりしている。
土物の陶器の場合には面が曖昧であり、不確定な柔らかさを持っている。
絵付けの世界も磁器の場合には、晴れやかであり、明快な筆致が一般的である。
陶器の場合にはどちらかと言えば「草」の筆致が合っている。
わびさびの精神は、この土物の陶器の世界に当たる。
 建築で言うと、書院と数寄屋の違いのように思える。
前者は真行草の「真」、後者は「草」。
Sマンションの外壁は、一部は陶器のタイル、多くは左官によるコテ味を表した。
これはケの場としての表現であり、わびさびの世界の表現を意識したものである。


日本の自然がつくった日本人の感性

 曖昧に思っていることも多いのに、あえてさまざまなことを言い切ってしまった。
反論も多々あるとは思うが、話のきっかけと思って未熟な議論を許していただきたい。
 とは言っても、気持ちは本気である。
太平洋を望むアジアの辺境において、世界中のそれぞれの国々と同じように、日本の唯一無二の特徴を論じてみたつもりである。
 多くの歴史は大陸の文化が日本に渡来してきたと語る。
しかしこんな経験に驚いたことがある。
それは、ある雑誌の取材で出かけた八丈島での体験であった。
 東京から見たら、八丈島は辺境にある離れ小島、一般的には「文化果つる」ところなのかもしれない。
ところが実際に島に行ってみて、さまざまな渡来人が太平洋を回遊する黒潮と共に現れ、さまざまな文化や知恵を置いていったことを知った。
島人にとって流人も宝物を持ってきてくれた人たちであった。
 八丈島は東京の島ではなく、太平洋という海洋文明の中に力強く存在する「小さな大陸」であった。
 ユーラシア大陸に接し、太平洋に望む日本という島。この島文化に愛着と尊敬の意を改めて伝えたい。

一つの人生ひとつの家

ひとりひとりの人生が、一つ一つの家という形になった時、それが建築家の仕事が成就した時と実感してい
ます。

百人の建築家がひとりの住まい手の住まいを設計すれば、百の設計図が出来上がるように、けして答えは一
つでなければならないということはないのですが、いつも不思議なことに、「この家はこの御夫婦とその家族があったからこそ出来上がった家だなあ」と実感してしまうのです。


敷地という大きな出発点を前提にして、そこに住まわれる御家族、そして日に日に変化していく御家族の状況。
健康、経済、そして社会的な条件、本当に家族の関係というものは、不安定です。
にもかかわらず、建築というものはとても固定的であり、なかなか変化させにくいものです。
この矛盾点を少しでも和らげ、建築を柔らかくするのが、設計の妙味と言えるところなのかも知れません。


もちろん水周りや、暖冷房、最近の話題からすれば、健康で安心できる材料に対する専門知識などは、設計の上では欠かせない条件です。
でもそれだけでは家というものにはなりません。
無から有を創るという錬金術師の資格も設計者には必要です。
人と人との力で創る家づくり、それだからこその妙味が、住まいづくりにはあります。


・間取りが語る住生活

人生は時間と同じように留まることはない。常に時が訪れ時が去っていく。
そして刻々と変化していく。
予想はできても、予想と違って変化していってしまうのが常理である。
経験では、5年ごとに家族と自分の状況が変化しているように見える。
それに対して家というものは固定的である。
この矛盾に設計というドラマがあると言っても良い。
それぞれの家の間取りは様々であるが、家と人と合わせて見ることが家を考える大切な視点といえる。

「住まいの原点」

自分の住まいをつくる。
これほど簡単で難しいことはないかも知れない。
地球上のあらゆる生物が何らかの形で、自分の住まいである巣をごく自然に創っている。
にもかかわらず、人間にとっては様々な人の手を借りずには自分の巣がつくれなくなってしまった。
はたしてその「自分でつくれなくなってしまった巣」とは如何なるものであるのか。
雨露を凌ぐためだけであれば、竪穴住居でも良かったはずである。
そこまで時代を遡らなくても江戸時代、田園地帯では、共同作業で住居をつくっていた。
明治以後もしばらくは住居というものはそういう存在であった。

明治時代となり文明開花を迎えて、世の中は大きく変わっていく。
都心部で始まった文明化の波は次第に農村部へと広がり、庶民の住居にも、電気がともり、水道が引かれるようになる。
そうなると、専門的な知識と技術と道具を持った職人が必要となる。さらに、金属や樹脂の建築材料が開発され市場に出回るようになると、ますます素人の手からは遠い存在となってしまう。
戦後の高度経済成長期には、もっと大きな変革が住宅に起きる。
それは住宅の歴史では初めての事であり、住宅が商品化されていくということであった。
住宅の生産を目的とする、大資本の住宅メーカーの誕生である。
住宅は、多くの部品が工場でつくられることとなり、現場での手加工は極力少なくなる。
必要な工期も大きく短縮されていく。
その結果、住宅の工業的な意味での品質が向上されると共に、一方では、同じ製品を沢山販売し経済効率をさらにあげようとする企業努力がなされる。
それがあらゆるメディアを使ったコマーシャルであり、住宅のファッション化である。
そうした状況では、ついに住まい手は消費者であり、与えられる側という立場に甘んじるしかなくなる。
そのことは、住まい手の主体性が失われたことと同じことと言えるのである。
住まいは、着物のファッションとは異なる。人間の生き方にもっと近い存在であり、けして人に委ねることのできない体の一部分と解せるものである。

今の時代、住まいをつくろうと思った時には様々な道がある。
しかし、大切にすべきことは、自分自身であり、自分の巣作りであり、自分の体の一部としての住まいの存在である。
これはけして人に委ねられるべきことではない。
ましてや、既製服と同じ気持ちで手に入れるべきものでもない。
住まいはあなたの大切な人生そのものであり、あなた自身の表現の場とも言えるものなのです。
そしてここにあげた、住まいづくりの事例は、そうした自分の住まい、あるいは自分自身の感性に合う、巣作りのひとつひとつの大切な心のこもった物語なのです。
建築家の存在は、そうした夢づくりのお手伝い役であり、見えないところでの快適な住まいづくりのための技術提供者であると思って下さい。
もしかしたら、人生の良き友人となるかも知れませんね。
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